遺伝性疾患の基礎概念

【遺伝子・染色体・ゲノム】
 人体は約60兆個の細胞から成り立っており、各細胞は各種のタンパク質の働きによって維持されている。
 タンパク質は数百から数千並ぶアミノ酸から成り立っており、1つのアミノ酸は核酸塩基3個の並びによって決定されている。核酸塩基はアデニン、チミン、グアニン、シトシンの4類から成る。
 1つのタンパク質の合成に関わる数千から数万個の核酸塩基の並びを遺伝子と呼ぶ。ヒトが持つ遺伝子の総数は約2万である。
 数百から数千の遺伝子が連なった物質を染色体と呼び、1つの体細胞には46本23対の染色体が含まれる。そのうち23本は母親から、他の23本は父親から受け継いでいる。46本のうちのX染色体とY染色体は性染色体と呼ばれ、男性ではXY、女性ではXXを有する。残りの44本は常染色体と呼ばれ、22種類存在する。染色体は中心部付近のくびれによって2つの部分に分けられ、短い部分を短腕、長い部分を長腕と呼ぶ。染色体全体に含まれる核酸塩基の総数は約30億である。
 すべての遺伝子とすべての染色体を総称してゲノムと呼ぶ。ゲノムのうち、タンパク質に翻訳される領域全体を「エクソーム」と呼ぶ。

【アレルと遺伝子型】
 アレル allele(対立遺伝子)とは、ある1つの遺伝子 gene がとりうるさまざまな形態 form をさす。形態の実態は塩基配列である。機能的な観点から正常アレル・変異アレルと区別される。
 アレルの組み合わせを遺伝子型 genotype と称する。遺伝子変異を持たない者は正常アレルのホモ接合体と考えられる。

【遺伝性疾患の分類】
 遺伝性疾患は単一遺伝子病と多因子遺伝病に分類される。
 1種類の遺伝子に変化があれば高い確率で発症する疾患を単一遺伝子病と称する。1種類の遺伝子の変化だけでは発症しない疾患を多因子遺伝病という。多因子遺伝病には、複数の遺伝子の変化が寄与して発症する疾患 polygenic disease と、遺伝的要因と環境要因の両方が加わって発症する疾患とがある。
 遺伝性疾患の一部はミトコンドリア遺伝子の変異により発症する(ミトコンドリア遺伝病 mitochondrial hereditary disease)。ミトコンドリアに含まれるDNAは母から子に伝えられ、父からは伝わらないので母系遺伝となる。
 単一遺伝子疾患には、常染色体優性遺伝病、常染色体劣性遺伝病、X連鎖劣性遺伝病がある。

【常染色体優性遺伝病】
 父親由来アレルと母親由来アレルのどちらかに変異があったときに発症する疾患。患者は変異のあるアレルと変異のないアレルのヘテロ接合体になる(ホモ接合体である可能性もあるが、実際には少ない)。疾患は親から子に伝わり、男女比はほぼ1:1である。
 患者の両親のいずれかが同じ変異のヘテロ接合体であり、罹患している場合と、患者が配偶子(精子ないし卵子)形成時の新生突然変異により発症する場合とがある。
 発症機転に関しては、変異アレルから翻訳されるタンパク質の機能が失われる「機能喪失型変異」と、変異アレルから翻訳されるタンパク質が本来にない機能を獲得する「機能獲得型変異」とがある。変異アレルから翻訳される異常タンパク質が正常アレルから産生される正常タンパク質の機能を阻害することを「優性阻害効果」という。
 単一遺伝子病のうち、原因遺伝子に変化があっても必ずしも発症するとは限らない疾患がある(不完全浸透)。
 ある遺伝子に変化を有する家系を集計し、発症する可能性のある患者のうち実際に発症している患者の割合を「浸透率」と呼ぶ。常染色体優性遺伝病のほとんどは浸透率100%である。
 家系内に同一の遺伝子異常を有する患者が複数おり、患者間に表現型(症状)の差や重症度のばらつきがあるとき、これを「多様な表現型 variable expressivity」と呼ぶ。
 浸透率の低下や多様な表現型が起こる機序として、主たる疾患原因遺伝子の他にこの遺伝子の影響を修飾する遺伝子の存在(遺伝子修飾 genatic modifier)などが考えられている。

【常染色体劣性遺伝病】
 原因遺伝子の両方のアレルに変異を有している場合に発症する。
 両親が近親婚の場合、両方のアレルには患者の両親に共通の祖先に由来する同じ変異が存在するホモ接合体となっている。両親が血縁関係にない場合、患者は変異アレルのホモ接合体になっている場合と、父親由来アレルと母親由来アレルの変異が異なる場合(複合ヘテル接合体  compound heterozygote)がある。
 一般に浸透率は高く、多様な表現型を認めることは少ない。両親が正常で、同胞が複数罹患している場合がある。

【X連鎖劣性遺伝病】
 X染色体上に原因遺伝子がある疾患。
 X染色体上の遺伝子の情報が損なわれたとき、男性では正常アレルがないために発症するが、女性では変異アレルと正常アレルが存在するために、正常アレルから翻訳されるタンパク質により細胞機能を維持できる場合は発症しない。ただし、女性の場合2つのX染色体のうちどちらか一方が不活化され、それは発生初期の細胞ごとにランダムに決定される(random X-inacrivation)。そのため、正常アレルを有するX染色体が不活化された細胞が細胞レベルで障害され、それが個体全体にも影響を与える場合は女性であっても発症する場合がある。また、偶然に正常アレルを有するX染色体に偏って不活化が起きる場合があり、その場合も女性であっても発症することがある(skewed X-inactivation)。
 父親は子にY染色体を伝えるが、X染色体は伝えないので、原則として父と子がともに罹患者であることはない。