日本神話概要(神代)

【天地開闢】
 天地が初めて開けた時、高天原(たかまのはら)に天之御中主(あめのみなかぬし)の神、高御産巣日(たかみむすひの)の神、神産巣日(かみむすひ)の神の三柱の神が現れた。

 次に国がまだ稚く、水に浮かぶ油の如くクラゲのように漂っていた時、葦の芽の如く萌え上がるように現れたのが宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神と天之常立(あまのとこたち)の神であり、この五柱の神々は特別な天つ神(あまつかみ)だった。
 その後、国之常立(くにのとこたち)の神を始めとして七代にわたり次々と神々が現れ、最後に伊邪那岐(いざなき)の神と伊邪那美(いざなみ)の神の男女神が現れた(神世七代:かみよななよ)。

【国造り】
 ここに天つ神たちは伊邪那岐・伊邪那美の両神に天沼矛(あまのぬぼこ)を与え、「この漂える国を修め作り固めよ」と命じた。そこで二柱の神は天浮橋(あまのうきはし)に立ち、矛を下ろして潮をコロコロと撹き回し、矛を引き上げるとその先から滴り落ちた塩が重なり積もって、淤能碁呂島(おのごろじま)という島ができた。
 その島に天下り、天御柱(あめのみはしら)を立て、大きな御殿を建てた。そして伊邪那美に「あなたの体はどうなっている?」と問うと、「私の体は成り成りて成り合わない所がひと所あります」と答えた。すると伊邪那岐は「私の体も成り成りて成り余った所がひと所ある。私の成り余る所を、あなたの成り合わないところに差し塞いで、国を生もうと思うのだが、どうだろう?」と言えば、伊邪那美は「それがいいでしょう」と答えた。
 そして二神は、天御柱を行き巡り会い、交合(まぐあい)をしようと約束した。伊邪那美は右から、伊邪那岐は左から柱を廻って出会い、先に伊邪那美が「あら、良い男ね!」と言い、後に伊邪那岐が「ああ、良い女だ!」と言ったが、生まれてきた子は水蛭子(ひるこ)だったので、葦船に入れて流した。次に淡島(あわしま)を生んだが、これも子の仲間に入れなかった。

 そこで二神は相談して、良い子が生まれない理由を天つ神たちに尋ねに行った。天つ神が占って言うには、「女が先に言ったのが良くない。また還って改めて言え」。そこで先程のように柱を行き巡り、先に伊邪那岐が「ああ、良い女だ!」と言い、後に伊邪那美が「あら、良い男ね!」と言って結ばれ、生まれてきた子はまず淡道之穂之狭別島(あわぢのほのさわけのしま:淡路島)、次に伊豫之二名島(いよのふたなのしま:四国)、次に隠岐之三子島(おきのみつごのしま:隠岐の島)、次に筑紫国(つくしのくに)、次に伊伎島(いきのしま:壱岐)、次に津島(つしま:対馬)、次に佐度島(さどのしま:佐渡)、次に大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま:本州)が生まれ、この八つの島が先に生まれたので大八島国(おおやしまぐに)といわれる。その後にもいくつかの島々が生まれた。

【伊邪那美の死】
 国を生み終えると、伊邪那美はさらに多数の神々を生んだ。そして火之迦具土(ひのかぐつち:火の神)の神を生んだところ、女陰(ほと)を焼かれて病み臥した。伊邪那美の吐物や糞尿からも神々が生まれたが、遂に亡くなってしまった。すると伊邪那岐は、「愛しい我が妻を、たったひとりの子に代えてしまったのか!」と嘆き、枕元に腹ばい、足元に腹ばっては泣き悲しみ、伊邪那美を出雲国と伯耆国の堺の比婆山に葬った。
 伊邪那岐は腰に差した十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、其の子迦具土神の首を斬ると、その血や躯からまた数多の神々が生まれた。

【伊邪那岐の黄泉国行】
 伊邪那岐は伊邪那美に会いたくてたまらず、黄泉国(よみのくに)に追って行った。伊邪那美が黄泉の建物から出迎えると、伊邪那岐は「愛しい私の妻よ、私とあなたが作った国は、まだ作り終わってない。だから還ろう」と切々と語った。伊邪那美はそれに答えて、「ああ悔しい!あなたが早く来ないから、私は黄泉の食べ物を食べてしまったわ。でも愛しいあなたがここに来てくれたのはありがたいので、私も還りたく思うのだけど、しばらく黄泉神(よもつかみ)と話してみましょう。でも私を絶対に見てはいけませんよ!」と言った。
 そうして伊邪那美が建物の中に入っている間、とても時間がかかって待ちきれなくなった伊邪那岐は、左の角髪(みづら)に差した櫛の太い歯を一本折り取って火を灯し、入ってみたところ、伊邪那美の体に蛆がたかりうごめいており、手足や体に八柱の雷神(いかづちがみ)が化生していた。
 それを見た伊邪那岐が恐れをなして逃げ帰る時、伊邪那美は「私に恥をかかせたね!」と言い、すぐさま黄泉の鬼女(よもつしこめ)を遣わして追わせた。伊邪那岐が黒い髪飾りを取って投げ捨てるとたちまち葡萄の実が生ったので、鬼女がそれを拾い食っている間に逃げ行くと、なお追いかけてくるので、右の角髪に差した櫛の歯を折り取って投げ捨てるとたちまち筍が生えてきたので、鬼女がそれを抜いて食らう間にまた逃げて行った。伊邪那美は、鬼女の後から、八柱の雷神に千五百の黄泉軍(よもついくさ)を付けて追わせた。伊邪那岐が腰に差していた剣を抜いて後ろ手に振り払いながら逃げて行くのをなお追いかけて、黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとに来た時、そこにある桃の実三つを取って抛つと、追手はことごとく逃げ帰っていった。そこで伊邪那岐は桃の実に、「今おまえが私を助けたように、葦原中国(あしはらなかつくに)に住む全ての人々が、苦難にあって悩み苦しむ時に助けてあげなさい」と言った。
 最後に伊邪那美が自ら追いかけて来たので、伊邪那岐は千人引きの大岩を牽いて黄泉比良坂を塞ぎ、その岩を間に挟んで各々立ち向かい離縁を言い渡すと、伊邪那美は「愛しい私の夫よ、こんなことをするなら、あなたの国の人間を一日に千人縊り殺してやるよ!」と言うので、伊邪那岐は「愛しい私の妻よ、おまえがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てるぞ!」と返した。このために、一日に必ず千人が死に、一日に必ず千五百人が産まれるのである。それで、その伊邪那美を名付けて黄泉津大神(よもつおおかみ)と呼ぶのである。そして、その黄泉比良坂とは、現在の出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)だといわれている。

【伊邪那岐の禊祓】
 ここに至って伊邪那岐は、「私はとても醜く汚い、穢れた国に行ってきたのだ。だからこの身を禊(みそぎ)しよう」と言って、筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら)に行って、禊ぎ祓いをした。杖や帯や衣など身に着けていた物を投げ捨てると、そこから十二柱の神々が生まれた。「上の瀬は流れが早く、下の瀬は流れが遅い」と言い、初めて中の瀬に降りて水に潜り体を洗いだ時、十四柱の神々が次々と生まれ出た。左の目を洗った時に現れたのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右の目を洗った時に現れたのが月読(つくよみ)の命、鼻を洗った時に現れたのが建速須佐之男(たけはやすさのお)の命だった。
 この時伊邪那岐は大いに喜んで、「私は子を生み続けて、最後に三柱の貴い子を得たぞ!」と言い、すぐさま首飾りの玉を取って揺らして鳴らし、天照に「お前は高天原を治めよ」と言って与えた。次に月読に「お前は夜の世界を治めよ」と言い、須佐之男に「お前は海原を治めよ」と言った。
 そして各々が命令に従って委ねられた領分を収める中で、須佐之男は命じられた国を治めずに、長い顎髭が胸に前に伸びるまで、泣きわめいていた。その泣く様子は、緑の山が枯れ山になるほど泣き枯らし、河や海が泣き干上がるほどだった。そのために悪しき神の声が夏蝿のように満ち満ち、さまざまな災が起こった。そこで伊邪那岐は須佐之男に向かって、「なぜおまえは委ねた国を治めずに、泣きわめいてばかりいるのだ」と言った。須佐之男は、「私は母の国根の堅州国(かたすくに)に行きたいと思うから泣いているんです」と答えた。すると伊邪那岐は大いに怒って、「それならお前はこの国に住んではならん!」と言って、すぐさま須佐之男を追放した。ちなみに、この伊邪那岐の大神は近江の多賀社に鎮座している。

【天安河の宇気比と須佐之男の狼藉】
 そこで須佐之男は、「それなら天照に訳を話してから去ろう」と言って天に上る際、山や川がことごとく動き、全ての地面が震れた。それを天照は聞いて驚き、「私の弟が上ってくる理由は、きっと善い心からではないだろう。私の国を奪おうと思っているからに違いない」と言い、すぐさま髪を解いて角髪(みづら)に巻き、左右の角髪にも鬘にも両手にも勾玉を巻き、背中や脇に矢入を負い、弓を振り回しながら硬い地面に腿まで踏み込んで雪のように蹴散らし、両足を踏みしめて雄叫びを上げながら、「何しに上ってきた!」と問いただした。
 須佐之男はそれに答えて、「私は邪心などありませんよ。ただ母の国へ行きたくて泣きわめいていたのを父神に叱られ、国を追い出されてしまったんです。だから、去っていく事情を説明しようと思って上ってきたんです。謀反を起こす気などありません」と言った。天照は、「それならお前の心が清く明らかなのはどうやって分かる?」と尋ねた。須佐之男は、「それぞれ宇気比(うけひ:誓約)をして子を生みましょう」と答えた。
 そこで天安河(あめのやすかわ)を中に挟んで各々誓約をする時、天照はまず須佐之男の帯びている剣を受け取り、三つに砕いて天真名井(あめのまない)の水で洗い清めて噛み砕き、霧のように吹き付けると三柱の女神が生まれた。次に須佐之男が天照の勾玉を受け取り、天真名井にゆらゆらと浸して濯ぎ、噛み砕いて霧のように吹き付けると五柱の男神が生まれ出た。天照は須佐之男に向かい、「後から生まれた五柱の男神は、私の物から生まれたので私の子ですよ。先に生まれた三柱の女神は、お前の物から生まれたのでお前の子供です」と言った。すると須佐之男は、天照に向かって、「私の心が清く明らかだからたおやかな女の子が生まれたんです。そういうわけで、この勝負は私の勝ちですね!」と言い、勝ち誇って天照の田の畦を壊し、その溝を埋め、さらには大嘗祭を行う宮殿に糞をし散らかした。そんなことをしても天照は咎めずに、「糞をしたのは、酔って吐き散すまい思ったからこそ、そうしたんだろう。田の畦を壊し、溝を埋めたのは、土地がもったいないと思ったからこそ、そうしたんだろう」と言ってかばった。しかし須佐之男の悪行は止まずにますますひどくなるばかりだった。天照が神聖な機織り殿に座って神の衣装を織っていたとき、その建物の天井に穴を開け、生皮を逆剥ぎにした馬を投げ込んだ時には、機織り女がこれを見て驚き、梭(ひ:機織りの道具)で女陰(ほと)を突いて死んでしまった。

【天岩戸】
 天照はそれを見て天岩屋戸(あまのいわやと)を開いてそこに引きこもった。すると高天原も葦原中国もことごとく暗くなり、いつまでも夜が続き、多くの邪神の声が夏蝿のように満ち、多くの災いが起こった。そこで八百万(やおよろず)の神々は天安河原(あめやすのかわら)に集まり、思金(おもいかね)の神に思案させて、鶏を集めて鳴かせ、鉄の鏡と勾玉を作らせ、牡鹿の肩の骨を焼いて占わせ、榊の上枝に勾玉を取り付け、中枝に八咫鏡(やたのかがみ)を掛け、下枝に白布と青布を垂らしてこれを布刀玉(ふとたま)の命に捧げ持たせた。天児屋(あめのこや)の命が祝詞を述べ、天手力男(あめのたぢからお)の命が戸の陰に隠れて立ち、天宇受売(あめのうずめ)の命が日影(サルオガセ)を襷掛けに掛け、真木を頭に載せ、笹葉を結び持ち、桶を伏せて踏み鳴らして踊り、神懸かりして乳房を露わにし、裳の紐を陰部まで下げ垂らした。すると高天原がどよめき、八百万の神々が皆笑った。
 天照はそれを怪訝に思い、天岩屋戸を細めに開いて、「私が引きこもったために天の原が暗くなり、葦原中国もみな闇になったと思うのに、どういうわけで天宇受売は歌い舞い、八百万の神々も笑っているの?」と内から尋ねた。天宇受売がそれに答えて言った、「あなたよりもいっそう貴い神がいらっしゃるのです。だからみんな喜んで笑い踊っているんです」。こう言う間に天児屋と布刀玉が一緒に鏡を差し出して見せると、天照はますます訝しく思ってすこし戸から出て覗いた。その時、隠れ立っていた天手力男がその手を取って引き出し、布刀玉が後ろに注連縄を引き渡し、「これより内へは戻らないでください」と言った。そこで天照が出てきた時、高天原も葦原中国も日が差して明るくなった。

【五穀の生成】
 八百万の神々は皆で相談し、須佐之男に罪の償いとして多くの品物を出させ、髭を切り手足の爪を剥いで追放した。
 須佐之男が大気津比売(おおげつひめ)の神に食べ物を乞うと、大気津比売は鼻や口や尻からさまざまな食物を取り出し、調理した。そのありさまを立ち伺っていた須佐之男は、穢して出していると思い、すぐさま大気津比売を殺した。すると殺された神の頭から蚕、両目から稲、両耳から粟、鼻から小豆、女陰から麦、尻から大豆が生じた。

【八俣遠呂智退治】
 須佐之男は高天原から追放されて、出雲国の肥(ひ)の河上の鳥髪(とりかみ)という土地に降った。この時、箸がその河より流れ下ってきたので、河上に人がいると思い、尋ね求めて上っていくと、老夫婦が乙女を中に置いて泣いていた。須佐之男が、「あなたたちは誰だ?」と問うと、「私は国つ神、大山津見(おおやまつみ)の神の子です。私の名は足名椎(あしなづち)、妻の名は手名椎(てなづち)、娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)と申します」と老夫が答えた。また、「あなたはなぜ泣いているのだ?」と問うと、「私にはもともと八人の娘がいましたが、あの高志(こし)の八俣遠呂智(やまたのおろち)が毎年やってきて喰らいました。今それが来る時なので、泣いているのです」と答えた。「それはどんな姿か?」「その目は赤酸漿(ほおずき)のようで、一つの体に八つの頭と八つの尾があり、体には苔や檜や杉が生え、その長さは八つの谷と八つの丘をまたぐほどで、その腹を見れば常に血で爛れております」。
 そこで須佐之男はその老夫に向かって、「あなたの娘を私にもらえるか?」と言うと、「恐れ多いことですが、あなたのお名前を存じません」と答えるので、「私は天照大御神の弟だ。今天より降ってきたところだ」と言うと、老夫婦は、「それならば恐れ多いことです。娘を差し上げましょう」と言った。
 須佐之男は乙女を櫛に変えて角髪に差し、老夫婦に言った、「あなたたちは繰り返し醸造した強い酒を作り、垣根を廻らせ、その垣根に八つの門を作り、門ごとに桟敷を設け、その桟敷ごとに酒樽を置いて、樽ごとに酒を満たして待っていよ」。
 こうして言われるままに準備をして待っていると、老夫の言ったとおりに八俣遠呂智がやってきた。そして酒樽ごとに頸を垂れてその酒を飲み、酔ってそのまま伏して寝た。須佐之男は腰に差した剣を抜いて、その蛇を切り散らかすと、肥の河が血で真っ赤になった。そしてその中の尾を切った時、剣の刃が欠けたので訝しみ、刃の先で切り開いてみたところ、ひとふりの太刀があった。須佐之男はその太刀を取って不思議な物と思い、天照に訳を話して献上した。これが草那芸大刀(くさなぎのたち)である。

【大国主の誕生】
 さて、須佐之男は婚姻の宮殿を造るのに良い土地を出雲国に探し、須賀(すが)の地に至った時、「私はこの地に来て心が清々しくなったよ」と言い、そこに宮殿を建てた。その時雲が立ち昇ったので、歌を詠んだ。
 八雲立つ 出雲八重垣(やえがき) 妻籠(つまご)みに 八重垣作る その八重垣を
 そして須佐之男は足名椎を呼んで、「あなたは私の宮殿の長になりなさい」と言い、櫛名田比売を始めその他の妻たちを娶って多くの神々を生んだ。そのうち、刺国若比売(さしくにわかひめ)との間に生まれた子が大国主(おおくにぬし)の神であり、この神は大穴牟遅(おおなむぢ)、葦原色許男(あしはらしこのお)、八千矛(やちほこ)、宇都志国玉(うつしくにだま)と、併せて五つの名を持っていた。

【因幡の白兎】
 大穴牟遅(大国主)には多くの兄弟(八十神)がいたが、皆立ち去って国を大穴牟遅に譲った。その訳は、兄弟たちは皆因幡の八上比売(やがみひめ)を娶ろうと思って共に因幡に行った時、大穴牟遅に袋を負わせ、従者として連れて行った。気多(けた)の崎に至った時、赤裸の兎が臥していた。兄弟たちは兎に、「おまえは海水を浴びて、風に当たって、高山の尾根で寝ていろ」と言った。兎が言うとおりにすると、海水が乾くにつれて皮膚が風に吹き割かれ、痛み苦しんで泣き伏していた。最後に来た大穴牟遅はその兎を見て、「なんでおまえは泣いているの?」と言うと、兎は答えて「私は隠岐の島にいて、この地に渡ろうとしましたが、なんのつてもないので海の和邇(わに:サメ)を騙して、『僕と君と比べて、どちらが仲間が多いか数えてみようよ。君は仲間を全部ここに連れてきて、この島から気多の崎までみんな並べてごらん。そしたら僕がその上を踏んで行きながら数えるので、どっちの仲間が多か分かるだろ』と言ったんです。そうして私が踏み数えながら、この崎に降りようとする時、『君は僕に騙されたね!』と言い終わるや否や、いちばん端っこにいた和邇が私を捕まえて毛皮を全部剥いでしまったんです。そんなわけで泣き苦しんでいると、先に来た兄弟たちが海水を浴びて風に当たれと言うので、そのとおりにしたら体がすっかりひび割れてしまったんです」といった。
 そこで大穴牟遅は兎に教えて、「すぐにこの河口へ行って、淡水で体を洗い、河口の蒲の穂を取って撒き散らし、その上に寝転がると、おまえの肌は元のように治るよ」と言った。兎がそのとおりにすると体が元通りになったので、兎は大穴牟遅に言った、「あなたの兄弟たちは決して八上比売を得ることはできません。袋を負っていてもあなたが姫を得ますよ!」。

【大国主の試練】
 さて、八上比売は兄弟たちに答えて、「私はあなたたちの言うことは聞きません。大穴牟遅に嫁ぎます」と言った。それで兄弟たちは怒って大穴牟遅を殺そうと共謀し、伯耆国の手間(てま)の山本に着くとこう言った、「この山には赤い猪がいる。俺たちが一緒に追い下したら、おまえが待ち受けて捕まえろ。もし捕まえられなかったら、必ずおまえを殺すからな!」。そして火で猪に似た大石を焼いて転げ落とし、大穴牟遅がそれを捕まえるとその石に焼き付いて死んでしまった。それで母の刺国若比売が泣き悲しんで、天に上って神産巣日に訴えた。神は二人の女神を遣わて治療させると、大穴牟遅は立派な男に生き返り、外に遊びに出かけた。
 兄弟たちはこれを見て、また大穴牟遅を騙して山に連れ込み、大木を割いてクサビをその木に打ち込み、その中に入らせるとすぐにクサビを抜き去って挟み殺した。そこで母親が泣きながら探し求め、大穴牟遅を見つけるとすぐに木を伐って救い出して生き返らせ、大穴牟遅に言った、「おまえはここにいると、ついに兄弟たちのために滅ぼされますよ!」。そして紀国の大屋毘古(おおやびこ)の神の元へ逃げ去らせたが、それを知った兄弟たちが追いかけてきて、矢をつがえ大穴牟遅の身柄を要求すると、大屋毘古は大穴牟遅を木の股からそっと逃して言った、「須佐之男の鎮座する根の堅州国に行きなさい。必ずその大神がおまえのために取り計らってくださるでしょう」。

【根の国での試練】
 大穴牟遅は言われるままに須佐之男の所に行くと、その娘の須勢理毘売(すせりびめ)が出てきて目を見合わせ、入り戻るとその父親に言った、「とても麗しい神がいらっしゃってますよ」。すると須佐之男が出て見て、「こいつは葦原色許古男という奴だ」と言い、すぐに呼び入れて蛇の部屋に寝かせた。須勢理毘売は蛇除けの布を大穴牟遅に与え、「この蛇が噛み付こうとすると、この布を三度振って打ち払ってください」と言った。大国主がそのとおりにすると蛇は自然とおとなしくなったので、安心して眠り、翌朝部屋を出た。次の日の夜は百足と蜂の部屋に入れられたが、また須勢理毘売から百足蜂の布を授かったので、前夜のとおりにして平穏に朝を迎えた。
 須佐之男は鏑矢を野に打ち込んでその矢を大穴牟遅に探させた。大穴牟遅が野に入ると、須佐之男はただちに火を放って周りの野をを焼いたので、逃れるすべが分からないでいると、鼠が来て「内はホラホラ、外はスブスブ」と言うので、大穴牟遅がそこを踏みしめると、洞穴に落ちてそこに隠れている間に火は焼け過ぎていった。そしてその鼠が鏑矢を咥え持って出てきたが、矢の羽はその鼠の子がみんな喰ってしまっていた。
 須勢理毘売は葬具を持って泣きながらやってきて、父の大神はすでに死んでしまっただろうと思ってその野に出て立っていた。すると大穴牟遅が鏑矢を持ってきたので、須佐之男は自分の大広間に呼び入れて、その頭の虱を取らせた。大穴牟遅がその頭を見ると、たくさんの百足が這っていた。すると須勢理毘売が椋の実と赤土を取って大穴牟遅に与えたので、その木の実を食い破り、赤土を口に含んで唾を吐き出すと、須佐之男は百足を食い破って吐き出した思い、気に入ってそそまま寝た。大穴牟遅は須佐之男の髪を握り、その部屋の垂木ごとに結びつけ、大石でその部屋の戸を塞ぎ、須勢理毘売を背負って父神の太刀と弓矢と聖なる琴を持って逃げ出る時、その琴が木に触れて大地が鳴動した。そこで寝ていた須佐之男はそれを聞いて目を覚まし、飛び起きる拍子にその部屋を引き倒した。しかし、大穴牟遅は、須佐之男が垂木に結びつけた髪を解き放している間に遠くへ逃げのびた。
 須佐之男は黄泉比良坂まで追いかけ、遥か遠くへ逃げていく大穴牟遅を見ながら叫んだ、「おまえが持っている太刀と弓矢を以て、おまえの兄弟たちを坂の裾に追いつめ、河の瀬に追い払い、おまえは大国主の神、またの名を宇都志国玉の神と名乗り、俺の娘須勢理毘売を正妻に迎え、宇迦能山(うかのやま)の山本に立派な宮殿を建てろよ、この小僧め!」。
 かくして大穴牟遅(大国主)はその太刀と弓矢で兄弟たちを坂の尾根ごとに追いつめ、河の瀬ごとに追い払って、初めて国を作った。先に契っていた八上比売は正妻の須勢理毘売を憚り、自分の産んだ子を木の股に挟んで因幡の国へ帰っていった。そこでその子は木股(きのまた)の神(別名、御井神:みいのかみ)と名付けられた。

【大国主の国造り】
 さて、大国主が出雲の御大(みほ)の岬にいた時、波頭から天羅摩船(あまのかかみぶね)に乗り、蛾の羽を剥いだ衣を着て寄り来る神があった。その名を問えども答えず、お供の神々に尋ねても皆知らなかったが、多邇具久(たにぐく:ヒキガエル)が「これは久延毘古(くえびこ:案山子)がきっと知っております」と言うので、久延毘古を召して問うと、「これは神産巣日の御子、少毘古那(すくなひこな)の神でございます」と答えた。そこで神産巣日に問い合わせると、「これは真に私の子だ。子の中でも、私の掌から漏れ落ちた子だ。だからあなたの兄弟にして、その国を作り固めなさい」と答えた。そこで大国主と少毘古那と、二柱の神が相並んでこの国を作り固めた。その後、少毘古那は常世国(とこよのくに)へ去っていった。
 そこで大国主は悲しんで、「私一人でどうしてこの国をよく作ることができようか。どの神が私と、この国をよく作ることができよう」と言った。この時、海を照らして寄り来る神があり、「私を立派に祭れば、私が一緒に国を作り上げよう。さもなくば国は成り難いぞ」と言った。大国主が、「それならどのようにお祭りいたしましょう?」と問うと、「私を倭の青垣の東の山の上に斎祭れ」と答えた。これが御諸山(みもろやま:三輪山)の上に鎮座する神である。

【天若日子の派遣】
 天照は、「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)の命が治める国です」と言ってこれを委ね、天降りさせた。しかし忍穂耳は天浮橋に立ち、「この国はひどく騒いでおるな」と言い、還り上って天照に事情を告げた。そこで高御産巣日が天安河原に八百万の神々を集め、「この葦原中国は天照がご自分の子が治める国とお定めになった国だ。しかし、この国には荒れすさぶ国つ神どもがたくさんいると思う。そこでどの神を遣わして説き伏せようか」と問うた。思金を始め八百万の神が議論して、「天菩比(あめのほひ)の神を遣わしましょう」と答えた。それで天菩比を遣わすと、大国主に心服してしまい、三年経っても復命しなかった。
 天照と高御産巣日が再び神々に相談すると、思金が「天若日子(あめのわかひこ)を遣わしましょう」と答えた。そこで天若日子に弓矢を与えて遣わしたが、その国に着くとすぐさま大国主の娘の下照比売(したてるひめ)を娶り、またその国を自分のものにしようと思って、八年経っても復命しなかった。
 さらに天照と高御産巣日が「どの神を遣わして、天若日子がいつまでも留まっている訳を問いただそうか」と尋ねると、神々や思金は「鳴女(なきめ)という名の雉を遣わしましょう」と答えた。そこで鳴女は天より降り、天若日子の家の門にある生い茂った楓の木に止まり、天つ神から申し付けられた事柄をつぶさに語った。すると天佐具売(あめのさぐめ)がこの鳥の言うことを聞いて、「この鳥は鳴き声がとても不吉です。射殺すべきです」と天若日子に進言したので、天若日子はただちに鳴女を射殺した。するとその矢が雉の胸を突き抜けて、天照や高御産巣日の元へ飛んできた。高御産巣日がその矢を取って見ると、血が矢羽に付いており、高御産巣日は「この矢は天若日子に与えた矢だぞ」と言い、諸々の神たちにこれを見せて、「もし天若日子が命令を違えず、悪しき神を射た矢であれば天若日子に当たるな。もし邪な心があれば、天若日子はこの矢に当たれ」と言い、その矢を投げ返したところ、朝床に寝ていた天若日子の胸に当たって彼は死んだ。

【天若日子の葬儀】
 天若日子の妻、下照比売の泣く声が風に乗って天に届いた。それで天若日子の父、天津国玉(あまつくにたま)の神とその妻は降ってきて泣き悲しみ、そこに喪屋(もや)を建て、河雁を供物持ちとし、鷺を箒持ちとし、翡翠を調理人とし、雀を米搗人とし、雉を哭女として、八日八夜歌舞を催した。この時、阿遅志貴高日子根(あぢしきたかひこね)の神が来て天若日子の喪を弔うと、父母や妻らが皆驚いて泣き騒ぎ、「我が子は死んでなかった!我が夫は死んでなかった!」と言って手足に取りすがり、泣いた。というのも、この二柱の神の容貌がとてもよく似ていたからだ。高日子根は大いに怒って、「俺は親友だから弔いに来たんだ。なんでまた俺を穢れた死人と間違えるんだ!」と言い、腰に差した剣を抜いてその喪屋を切り倒し、足で蹴り飛ばした。それが今、美濃国の藍見河の河上にある喪山である。

【建御雷の派遣】
 天照がまたどの神を遣わしたら良いかと問うと、思金や諸神は「天安河の河上の天の岩屋に住む伊都之尾羽張(いつのおはばり)の神を遣わすべきです。もしこの神でないならば、その神の子、建御雷之男(たけみかづちのお)の神を遣わすべきです。ただし、その尾羽張は天安河の水を塞き止めて道を塞いでいるので、他の神は行くことができません。だから特別に天迦久(あめのかく)の神を遣わして依頼すべきです」と答えた。そこで天迦久を尾羽張に遣わすと、尾羽張は「恐れ多くも、お引き受けいたします。しかしながらこの事には、我が子の建御雷を遣わしましょう」と言って、すぐさま彼を差し出した。ここに天照は天鳥船神(あまのとりふね)の神を建御雷に副えて派遣した。
 この二柱の神、出雲の伊那佐(いなさ)の小濱に降り、剣を抜いて逆さまに波頭に刺し立て、その剣の上にあぐらをかいて大国主に問うた、「天照大御神、高御産巣日神の命令により、問いただしに遣わされた。あなたが支配している葦原中国は、天照大御神の御子が治めるべき国との仰せがあった。さて、あなたのお考えはいかに?」。大国主はこれに対して、「私には答えられません。我が子の八重言代主(やえことしろぬし)の神が答えましょう。しかし鳥狩りや魚釣りに御大(みほ)の崎に行っていて、まだ帰ってきません」と答えた。そこで天鳥船を遣わして言代主を連れ帰り、問いただすと、その父に「恐れ多いことです。この国は天つ神の御子に奉りましょう」と言い、たちまち船を踏み傾け、天の逆手を打ち、青柴垣に身を隠した。

【建御名方の抵抗】
 そこで二神は大国主に向かい、「今あなたの子、言代主はこう申したぞ。他に申すべき子はいるか?」と問うた。「もうひとり、建御名方(たけみなかた)の神がいます。その他にはおりません」と大国主は答えた。こう言っている間にその建御名方が千人引きの大岩を手先に軽々と差上げて来て、「誰だ、我が国に来て、こそこそとそんなことを言っているのは?それなら、力比べをしよう。さあ、俺が先にその手を取ろう」と言った。そこで建御雷は手を取らせると、すぐさま立氷に取り、剣刃に取りなした。建御名方が恐れて引き下がると、建御雷はその手を取り返し、若い葦を掴むように掴み潰して投げ放てば、建御名方はたちまち逃げていった。それを追いかけていって、信濃国の諏訪の湖まで追い詰めて殺そうとした時、建御名方は「恐れ多いことです。私を殺さないでください。この地以外にはどこにも行きません。また我が父大国主に命令に背きません。言代主の言うことにも逆らいません。この葦原中国は天つ神の御子の命令に従って献上いたします!」と言った。

【大国主の服従】
 それからまた帰ってきて大国主に問うた、「あなたの子たち、事代主と建御名方は天つ神の命令のままに従うと申しました。さて、あなたのお考えはいかに?」。すると大国主は、「私の二人の子の申すままに、私は従いましょう。この葦原中国はご命令のとおりに全て献上いたします。ただ、私の住処を、天つ神の御子の御子孫と同じように造りなし、宮柱を太く立て、千木を高々と掲げた神殿をお造りいただければ、私はそこへひたすらに身を隠しましょう。また私の子等、百八十神のうち、事代主がこれを統率すれば、背くものはおりませんでしょう」と答えた。こうして、出雲国の多芸志(たぎし)の小濱に神殿が造られ、櫛八玉(くしやたま)の神を祭司とし、建御雷は還り上って葦原中国を平定したさまを復奏した。

【猿田毘古の出現】
 ここに天照と高御産巣日は、「今、葦原中国を平定し終わったとの報告があった。そこで我らが委ねたとおりに、降り行きて治めよ」と忍穂耳に命じた。すると忍穂耳は「私が降る用意をしている間に子が産まれました。その名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇藝(まめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎ)の命です。この子を降しましょう」と言った。そこで邇邇藝に天降りして豊葦原水穂国を統治するように命令が下った。
 邇邇藝が天降りしようとするとき、途中の分かれ道に、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がいた。そこで天照と高御産巣日は天宇受売に向かい、「おまえはか弱い女ではあるけれど、敵対する神にも物怖じすることがない。だからおまえが行って、『我が御子の天降りする道に、こうしているのは誰だ』と尋ねなさい」と命じた。天宇受売が問うと、その神は「私は国つ神、名は猿田毘古(さるたびこ)の神と申します。こうして出てきたのは、天つ神の御子が天降りされると聞きましたので、先立ってご案内するために参り迎えに来たのです」と言った。

【天孫降臨】
 天照は天児屋、布刀玉、天宇受売、伊斯許理度売(いしこりどめ)の命、玉祖(たまのや)の命の五柱の神々を邇邇藝に副えて天降らせた。また、八尺の勾玉、鏡、草那芸剣(三種の神器)に、思金、手力男、天石門別(あめのいわとわけ)の神を副えて、「この鏡は私の御魂(みたま)として、私を前にして祀るように祀りなさい。思金はこれまでのしきたりに習って政を行いなさい。」と言った。そうして邇邇藝に命じて、天石位(あまのいわくら)を離れ、幾重にもたなびく雲を押し分け、堂々と道をかき分けながら天浮橋から筑紫の日向(ひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降りさせた。先頭に立って進んでいた天忍日と天津久米(あまつくめ)の命が、「ここは韓國に向かい、笠沙の岬を通って朝日が真っ直ぐに射す国、夕日の照り映える国です。ここはとても良い土地です」と言い、宮柱を太く立て、千木を高々と掲げた宮殿をそこに建てた。
 邇邇藝は天宇受売に向かい、「この岬に立って仕えた猿田毘古は、その名を明らかにしたおまえが送ってあげろ。またその神の名はおまえが受け継げ」と言った。そういうわけで歌舞で祭に奉仕する猿女君(さるめのきみ)らは、その名をこの男神からもらっているのである。この猿田毘古は阿邪訶(あざか)にいるとき、漁労中に比良夫貝(ひらぶがい)にその手を挟まれて、海に沈み溺れてしまった。
 天宇受売命は猿田毘古を送って還ってきてから、海に住む大小の魚たちをことごとく集め、「おまえたちは天つ神の御子にお仕えするかい?」と問うと、魚たちが「お仕えします」と答える中に、海鼠(なまこ)だけが答えなかった。そこで天宇受売命は、「この口は答えない口だね!」と海鼠に言って小刀でその口を裂いたので、今に至るまで海鼠の口は裂けているのである。また、志摩からの献上物は猿女君に与えるのである。

【石長比売と木花佐久夜比売】
 さて、邇邇藝は笠沙の岬で美しい乙女に出会った。「どなたのお嬢さんですか?」と問うと、「大山津見(おおやまつみ)の神の娘で、名は阿多都比売(あたつひめ)、またの名を木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と申します。」と答えた。「ご兄弟がいらっしゃいますか?」と問うと、「姉に石長比売(いわながひめ)がおります」と答えた。「私はあなたと結婚したいのですが、いかがでしょう?」と言うと、「私には答えられません。私の父がお答えするでしょう」と言った。そこで父の大山津見に人を遣わして求婚すると、父は大いに喜び、姉の石長比売を副え、たくさんの結納品を持たせて娘を与えた。しかしその姉はひどく醜かったので、恐れをなして実家に送り返し、妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて、一夜交わった。すると大山津見は、石長比売が送り返されたのを大いに恥じて、このように言い送った、「私の娘を二人ともあなたに与えたのは、石長比売をお側に置けば、あなたの命は雪が降り風が吹いても、常に岩のようにいつまでも変わらずに続くからで、木花之佐久夜毘売をお側に置けば、木の花が咲き栄える如く栄えるようにと願ってのことからです。しかしこのように石長比売を返して木花之佐久夜毘売だけをお留めになったので、天つ神の御子のご寿命は木の花が咲いている期間のように儚くなってしまいました」。これにより今に至るまで、天皇命(すめらみこと)たちのご寿命は長くはなくなったのである。
 この後、木花之佐久夜毘売が参り出て、「私は孕んで、今産む時になりました。天つ神の子供はこっそりと産んではならないので、申し上げました」と言った。「佐久夜毘売よ、一晩で孕むとは、私の子ではあるまい。きっとどこかの国つ神の子に違いない」。「私が孕んだ子がもしどこかの国つ神の子ならば、無事には産まれないでしょう。天つ神の子ならば、必ず無事に産まれるでしょう」。木花之佐久夜毘売はそう言って戸のない大きな建物を造り、その内に入って土で塗り塞ぎ、子を産む時にその建物に火を放った。そこでその火が盛んに燃えている時に産まれた子の名は火照(ほてり)の命、次に産まれた子は火須勢理(ほすせり)の命、その次に産まれた子の名は火遠理(ほとおり)の命、またの名を天津日高日子穂穂手見(あまつひこひこほほてみ)の命という。

【海佐知毘古と山佐知毘古】
 火照は海佐知毘古(うみさちびこ)として海で大小の魚を漁り、火遠理は山佐知毘古(やまさちびこ)として山で獲物を狩っていた。火遠理は兄の火照に「それぞれ道具を交換して使ってみよう」と三度頼んだが許されなかった。しかしようやく交換することができて、火遠理は漁労の道具で魚を釣ろうとしたが、全く一匹の魚も釣れず、しかも釣鉤(つりばり)を海で失くしてしまった。火照がその釣針を求めて、「弓矢も釣鉤もそれぞれ自分の道具だから、今は自分の道具を元のように戻そう」と言うと、火遠理は「あなたの釣鉤は、一匹の魚も釣れないで海で失くしてしまいました」と答えた。それでも兄が強いて求めるので、弟は腰に差した剣を割って、五百本の釣鉤を作って償ったが兄はそれを受け取らなかった。また千本の釣鉤を作って償ったがそれも受け取らず、「やっぱり元の釣鉤を返せ」と言った。
 弟は嘆き悲しんで海辺に座っていた時、塩椎(しおつち)の神が来て尋ねた、「どうして天の御子が泣き悲しんでいるのですか?」。火遠理が訳を話すと、塩椎は「わたしがあなたのために良い工夫をしてあげましょう」と言って、竹でできた小舟を造り、火遠理をその船に乗せてこう教えた、「私がその船を押し流しますので、しばらくの間乗っていくと良い潮路があるでしょう。その潮路に乗っていくと、鱗のように瓦を葺いた宮殿があり、それが綿津見神(わたつみかみ:海神)の宮です。その神の門口に着いたら、傍らの井戸の上に繁った桂の木があります。その木の上に登っていれば、海神の娘があなたを見つけて相談に乗ってくれるでしょう」。
 そこで火遠理が教えられたままに行くとそのとおりになっていたので、その桂の木に登って座っていた。すると海神の娘、豊玉毘売(とよたまびめ)の下女が玉の器を持って水を汲もうとする時、井戸の中が光っていたので、仰いで見ると美しい若者がいるのをとても不思議に思った。火遠理はその下女を見て水を乞うと、下女はすぐに水を汲み、玉の器に入れて差上げた。火遠理は水を飲まずに、頸に掛けていた玉を口に含み、玉の器に唾と共に吐き出した。するとその玉が器にくっついて離れなくなったので、そのままにして豊玉毘売に進上した。豊玉毘売はその玉を見て下女に尋ねた、「もしかして誰か門の外にいるの?」。すると下女は経緯を述べたので、豊玉毘売も不思議に思って出てみると、たちまち一目惚れして目を見交わし、その父に「うちの門に美しい人がいますよ」と言った。海神も出て行って、「この人は天つ神の子、空つ神だよ」と言って、すぐに屋敷の中に招き入れ、アシカの皮を幾重にも敷き、その上に絹の敷物を幾重にも敷き、その上に座らせて数多くの品物を供え、ご馳走をして、自分の娘の豊玉毘売を嫁がせた。それで火遠理は三年間その国に住んでいた。

 その後火遠理は始めの出来事を思い出して大いに嘆いたので、豊玉毘売はその嘆きを聞いて父にこう言った、「三年間いらっしゃって、ついにお嘆きになることもなかったのに、今宵は大にお嘆きになっておられます。いったいどんな訳があるのでしょう?」。父神が婿に尋ねた、「今朝娘の話を聞くと大いに嘆いているそうですが、どのような理由でございますか?そもそもここにどんな訳でいらっしゃったのですか?」。そこで父神にその兄が失くした釣針で責め立てる有様を詳しく語ると、海神は海の大小の魚たちをことごとく呼び集めて、「もしかしてこの釣鉤を取った魚がいるか?」と問うた。すると諸々の魚が言うには、「以前、鯛が喉に何かが刺さってものが食べられないと嘆いていました。だからそれを取ってみましょう」。そこで鯛の喉を探ると釣鉤があった。すぐにそれを取り出し、洗い濯いで火遠理命に渡し、海神は教えて言った、「この釣鉤を兄に渡すときは、『この釣鉤は、大きな鉤、荒ぶる鉤、貧しい鉤、愚かな鉤』と唱えて、後ろ手で渡しなさい。そして兄が高い所に田を作れば、あなたは低い所に作りなさい。兄が低い所に田を作るなら、あなたは高い所に作りなさい。そうすれば、私は水を支配していますから、兄はきっと貧しくなるでしょう。もしそれを恨んで攻撃してくるなら、塩盈玉(しおみつたま)を出して溺れさせ、もし詫び言を言えば塩乾玉(しおふるたま)を出して救い、そうやって悩み苦しめなさい」。海神はそう言って塩盈玉、塩乾玉の併せて二つを授け、すぐさま和邇魚(わにざめ)をことごとく呼び集めて問うた、「今、天つ神の御子の空つ神が陸に出ようとされている。誰が何日かかって送ってさしあげ、復命をするのか?」。それぞれが自分の体長に従って、かかる日にちを言上する中に、一尋の和邇が言うには、「私は一日でお送りして、直ちに還ってまいります」。そこでこの和邇に命じて、「それならばおまえがお送りしろ。海の中を渡るときは、怖気づくなよ」と言い、火遠理をその和邇の頸に乗せて送り出した。そして約束通り一日の内に着いたので、その和邇を返そうとするとき、腰に付けていた紐付きの小刀を解き外し、その和邇の頸に付けて返した。それで、その一尋和邇は今でも佐比持(さひもち:刀持ち)の神というのである。

 こうして火遠理は海神から教えられたとおりにして火照に釣鉤を渡した。すると兄はそれ以後次第に貧しくなり、いっそう荒々しくなって攻め寄せてきた。攻め込もうとするときは塩盈玉を出して溺れさせ、詫びを言えば塩乾玉を出して救い、そうやって悩み苦しめると、兄は低頭して「私はこれから後はあなたの昼夜の守護人となってお仕えいたします」と言った。それで兄の子孫の隼人は、今に至るまでその溺れた時のさまざまな仕草を演じながら、ずっとお仕えしているのである。

【鵜葺不合の誕生】
 海神の娘豊玉毘売がやってきてこう言った、「私はすでに孕んでいましたが、今出産の時になりました。思うに天つ神の御子は海で産むべきではありません。だから参上いたしました」。そして直ちに海辺の渚に鵜の羽を屋根に葺いて産屋を造った。しかしその産屋の屋根がまだ葺き終わらないうちに豊玉毘売は産気づき、産屋に入った。まさに子が産まれようとする時に夫に向かい、「全て異界の人間は、子を産む時になれば本来の姿になって産みます。ですから私は今から本当の姿になって出産しますので、どうか私の姿を見ないでください」と言った。火遠理はその言葉を不思議に思い、子を産もうとするところを覗き見ると、妻は八尋の和邇と化して、這いくねっていた。これを見て驚き恐れ、たちまち逃げ出すと、豊玉毘売は覗き見られたことを知って恥ずかしく思い、直ちに子供を産み置いて、「私はずっと潮路を通って往来しようと思っていたのに、私の姿を覗き見られたのでとても恥ずかしいわ!」と言い、そのまま海神の国との堺を塞いで還って行ってしまった。このことからその産まれた子を名付けて天津日高日子波限健鵜葺不合(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえず)の命といった。豊玉毘売は産んだ子を育てるために自分の妹玉依比売(たまよりひめ)を送ってよこした。

【神倭伊波禮毘古の誕生】
 日子穂穂手見(火遠理)は高千穂の宮殿で五百八十年生き、御陵はその高千穂の山の西にある。鵜葺不合命がその叔母である玉依比売を娶り、産んだ子供の名前は五瀬(いつせ)の命、次に稲氷(いなひ)の命、次に御気沼(みけぬ)の命、またの名を神倭伊波禮毘古(かむやまといわれびこ:神武天皇)の命。御気沼命は波頭を踏んで常世国へ渡っていき、稲氷命は母の国として海原に入っていった。