エドワード2世

エドワード2世 Edward Ⅱ


エドワード2世 Edward Ⅱ
(1307〜1327)

 父:エドワード1世
 母:カスティルのエリナー

 1284年、エドワード1世とエリナーの四男として誕生。3人の兄は夭折。
 1294年、ピエール・ドゥ・ギャヴスタン Piers de Gavestonが初めて伺候。以後彼を寵愛する。
 1307年、父王、ギャヴスタンを追放した後死去。エドワード即位後、ギャヴスタンを召還し、コーンウォール伯に叙爵。
 1308年、仏王フィリップ4世の娘イザベルと結婚。ギャヴスタンを摂政に任命。貴族たちの要請により、一度はギャヴスタンをアイルランド総督に左遷するが、翌年には召還。
 1309年、ギャヴスタン、王の姪マーガレット(ギルバート・ドゥ・クレアとジョアンの娘)と結婚。
 1310年、国政改革委員会 Lords Ordainersが発足。ギャヴスタンの追放を要求。ギャヴスタンは逃亡を図るが、王とともに捕らえられる。1312年、ウォーリック伯ガイ・ドゥ・ビーチャムにより処刑される。その後ペンブルク伯とランカスター伯との間に不和が生じる。
 1314年、バノックバーンの戦いでイングランド軍、スコットランド軍に大敗。ロバート・ブルース、スコットランド独立を確保する。国王派と反国王派に分かれて貴族の対立が激化する。
 1322年、反国王派のランカスター伯トマスを処刑。同年、仏王シャルル4世即位。
 1323年、スコットランドとの間に休戦成立(事実上の屈服)。
 1325年、王妃イザベル、皇太子エドワードとともに仏王に臣従の礼を行う。イザベル、愛人マーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーと結託し、ヒュー・ル・デスペンサーの追放を要求。
 1326年、王妃とモーティマーの軍隊、イングランドに上陸。王は逃亡、デスペンサー親子は処刑される。同年11月、王降伏。ケニルワースに幽閉される。
 1327年、議会、エドワード2世の廃位を決定。王、バークレイ城で惨殺される。

妻:フランスのイザベル Isabella of France(1292〜1358) 結婚1308年
 フランス王フィリップ4世の娘で、シャルル4世の妹
 後に愛人マーチ伯ロジャー・ドゥ・モーティマーと結んでエドワード2世を廃位に追い込み、王の死後政治を壟断する。エドワード2世との間に二男二女を儲ける。
長男:エドワード 後のエドワード3世
次男:ジョン コーンウォール伯ジョン・オヴ・エルサム
長女:エリナー バイエルンのグエルデルス公妃となる。
次女:ジョアン スコットランド王ロバート・ブルースの長男デイヴィッド(後のデイヴィッド2世)に嫁ぐ。