日本の政治

日本の政治


【議会制度の変遷】
1)帝国議会(大日本帝国憲法、1980年開設)
 立法権は天皇の大権によって制限され、「協賛」機関でしかなかった。
 両院制だが、公選の議院は衆議院のみ。
 皇族・華族・勅撰議院からなる貴族院は衆議院を牽制するためのもので、衆議院と対等の地位にあった。
 大臣は天皇によって直接任命され、内閣は議会の信任と無関係に存在した。
 内閣は、議会の政党勢力と無関係に組織できる超然内閣で、天皇に対してのみ責任を負い、議会に対しては責任を負っていなかった。
2)国会(日本国憲法)
 国権の最高機関、唯一の立法機関である。国民主権の原理に基づく。
 議院内閣制が明確に規定されており、内閣に対する国会のコントロールが確保されている。
 責任内閣の原則により、内閣は国会に対して責任を負う。

【選挙制度】
・最初の総選挙(1890):制限選挙。有権者は国民の1.1%のみ。
・普選運動
  1900年の法改正:納税上の資格が直接国税15円から10円へ。有権者は国民の2.2%へ。
  1919年の法改正:10円から3円へ。有権者は5.5%へ。
・男子普通選挙(1925):年齢制限25歳以上。有権者は20%へ。
・男女普通選挙(戦後):年齢制限20歳以上。有権者は50%以上へ。

【選挙区制】
 中選挙区制(1925より):定数複数だが単記制
 1994年、小選挙区制・比例代表「並立制」の導入

【選挙運動】
 中選挙区制で大政党から複数の候補者が出馬→地元利益や利益集団への貢献が中心になり、政策論争がおきにくい。
 内閣支持率と選挙結果の間に明確な関連が見られない。
 選挙運動は候補者中心→同じ党の候補者同士の「同士討ち」もおこる。
 候補者の後援会が発達。
 政党の財政基盤が脆弱→政治資金は候補者自らが調達→政治腐敗が生まれやすい。

【日本における投票行動】
<基本的特徴>
1)中選挙区制のもとでは、選挙運動は個人中心。
2)地縁・血縁を中心とするパーソナル・ネットワークが重要→農村部が都市部より投票率が高い。
 投票率は政治的関心の高さより、投票義務感や地域社会の人的ネットワークの強さを表す。
3)地方レベルの選挙の方が一般に投票率が高い。
 国政選挙では、衆議院選挙の方が投票率が高い。

<投票行動の変化>
1)国政選挙では、「人物重視」よりも「政党重視」へ。
2)イメージ選挙の色彩が濃くなった。
3)青年層の棄権の増加(特に都市部)
4)投票率の男女逆転(女性の方が高い、特に地方選挙で)

【政党政治の発達】
・「藩閥政治」対「民党」
 薩長出身者が閥をつくり、権力を独占(藩閥政治)。
 これに対し、批判勢力は政党を結成。自由党、改進党などの「民党」結成。
 愛国公党(1874):板垣退助らによる。「民撰議院設立建白書」提出。自由民権運動の発端。後に自由党に発展。
 国会開設勅諭(1881):板垣らの自由党、大隈重信らの立憲改進党結成。
 自由党は地方農村を基盤とし、氏族・豪農商層を中心とする。次第に貧農層に広がり、急進的となる。後に政友会に発展。
 改進党は有産者層、知識層を基盤とし、漸進的。後に民政党に発展。
 福地源一郎らは立憲帝政党という御用政党を結成。
・内閣制度創設(1885)、憲法発布(1889)、帝国議会開会(1890)
 明治憲法は立憲君主制。ただし、天皇は藩閥支配に正当性を付与するだけの名目的権威にとどまる。
 現実政治は藩閥政府と反藩閥勢力(民党)の対立となる。
・「超然内閣」対「政党内閣」
 藩閥政府の超然主義:政党の動向に制約されることなく、超然として独自に政策実現を図る政府の方針。
 帝国議会は制度上、天皇の立法権に対する「協賛」機関にすぎない。
 藩閥政府は政党勢力の伸長を抑圧し、政党内閣も認めなかったが、衆議院では次第に政党勢力が伸長。
 伊藤博文の「政界縦断」:政党勢力との妥協・提携。政友会結成(1900)。
 大正政変(1913)→反政友会勢力が立憲同志会を結成。「憲政常道」:二大政党の政権交代。
 立憲政友会の原敬による本格的政党内閣誕生(1918)。

【現代日本の政党制】
 55年体制:保守の自由党と民主党が合同し、自由民主党結成。革新では分裂していた左右社会党が統一され、社会党結成。勢力比に開きがあるため、二大政党というより「1ヵ2分の1政党制」といわれた。
 その後、次第に自民党による一党優位制となった。

【保守党支配】
・政・財・官の結合
・保守政党の長期支配
・利益集団はもっぱら自民党を通じて利益実現をめざした。
・保守党議員は、官僚機構との親密な関係をルートに行政府へ働きかけ、見返りに票と資金を受けた。
・地方では、地域の有力者の義理・人情を絡めた支配構造で保守党の地盤は支えられた。
・地元利益の要求は、有力者から保守党議員を通じて官僚へ、というルートで表出された。
・後援会は利益実現の装置でもあるので、後援会側も議員を必要とし、組織維持のため、「世襲議員(二世議員)
」が生まれやすくなった。
・野党は実質的な政策形成過程から除外され、各支持団体の要求を政治化する機能を果たすだけとなった。

【圧力団体】
1)成員の自発性が乏しく、既存の組織の成員が丸ごと組織参加する。
2)政党組織が貧弱なので、圧力団体が選挙活動などを補完する。
3)政策決定では官僚制の影響が大きいので、圧力団体の活動が主に官僚制に向けられる。
4)下部成員の無関心のため、内部で寡頭支配となりやすく、少数幹部の支配力が強くなる。
5)官僚制と圧力団体指導層が癒着しやすく、官僚の「天下り」がこれを強化する。
6)政党ごとの系列化の傾向があり、ひとつの圧力団体はもっぱらひとつの党との関係を深めることが多い。

<政・官・業の三角関係>
・圧力団体、議員、官僚の間に緊密な関係が生まれる。
・議員は政治資金や選挙での支援で圧力団体に依存する。
・官僚は省庁の予算や法案の面で議員に依存する。
・圧力団体は予算や許認可の点で、官僚から大きな影響を受ける。

【地方自治】
 地方自治の拡充は、戦後改革の重点のひとつとされ、憲法にも「地方自治の本旨」が明記されたが、実体は「器の改革」にすぎないと言われる。後に中央によるコントロールの体制が強化された。
・地方自治体の権限が乏しい。
・委任事務(国がやるべきことでありながら、地方自治体にゆだねられている事務)が非常に多い。
 特に、地方議会が直接関与できない機関委任事務が多い。許認可権が中央省庁に集中している。
・財政面でも中央集権が強く、「三割自治」と呼ばれる。
 地方公共団体の歳入のなかで、固有の権限として徴収できる地方税が三割程度しかない。
・人事面でも中央省庁からの天下りや出向が多い。


【参考】
・「はじめて学ぶ政治学」:加藤秀治郎著 実務教育出版 1994 東京