宗像大社

宗像大社


【宗像三宮】
 三女神を祀っている宗像大社。
 宗像本土から約60キロ沖合、玄界灘の真っ只中に浮かぶ沖ノ島(おきのしま)に「沖津宮(おきつぐう)」。
 同じく宗像本土から約10キロ沖合の大島に「中津宮(なかつぐう)」。
 海岸から少し内陸の田島(たしま)に「辺津宮(へつぐう:総社)」。
 宗像大社はこの三宮の総称です。

 沖津宮には長女神の田心姫神(たごりひめのかみ)が、
 中津宮には次女神の湍津姫神(たぎつひめのかみ)が、
 辺津宮には市杵島比姫神(いちきしまひめのかみ)がそれぞれ祀られ、
 宗像三女神あるいは宗像大神(おおかみ)と呼ばれています。

 「古事記」「日本書紀」によれば、
 三女神は天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)のもとに誕生し、
 天照大神の神勅によって、
 大陸との交通の要路にあたる
 「海北道中(かいほくどうちゅう)」(宗像より朝鮮半島に向かう古代海路)に降臨し、
 以降、国家の守護神として崇敬されています。
(宗像大社 宗像大社社務所刊 平成元年)

【由緒】
 宗像三女神は「宗像神社」「厳島神社」をはじめとして全国各地で主祭神または相殿神(あいどのしん:主祭神と共に祀る神)祀られている。その数は6,200社といわれ、それらの神社の総本山が宗像大社である。
 「日本書紀」には宗像三女神が「道主貴(みちぬしのむち)」として崇敬を受けたことが記されている。ちなみに、「貴(むち)」とは最も高貴な神に贈られる尊称で、道主貴以外は伊勢神宮の大日霊貴(おおひるめむち:天照大神)と出雲大社の大己貴(おおなむち:大国主命)のみである。
 記紀によれば、この三女神を奉じて祀ったのは代々大宮司職を継いだ豪族宗像氏の先祖にあたる胸肩君(むなかたのきみ)だといわれている。
 大化改新の後、宗像郡(現在の宗像・福津両市に古賀市・宮若市・遠賀郡の一部を含む地域)は九州唯一の神郡(しんぐん)となり、宗像氏は大領(だいりょう:郡司)と神官を兼帯した。
 平安時代になると大宮司職が認められ、以後戦国時代にかけて社勢をのばした。戦国の混乱のなか、大宮司家の断絶や社領の没収があったが、領主となった小早川隆景、後には黒田長政の寄進を受け、宗像大社の祭祀は継承された。
 明治維新後、明治4年に国幣中社に列格、同18年に官幣大社に昇格した。
 戦後の昭和29年から三次にわたる沖ノ島学術調査が行われ、23ヶ所の祭祀跡から8万点もの祭祀神宝が発見され、すべて国宝にしていされた。その中には朝鮮半島をはじめ中国、ペルシアの豪華な工芸品もみられたところから、沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれるようになった。4〜9世紀にわたる祭祀の全貌が明らかになり、我が国における仏教伝来以前からの祭祀の形態が学術的に明らかになった。
 本殿・拝殿などの修復と境内の拡張・整備、第二宮(ていにぐう)・第三宮(ていさんぐう)をはじめとする諸施設の造営、最後に神宝館と儀式殿の建設をもって、昭和56年に一連の昭和の大造営事業は終了し、現在は交通安全・安産・芸能・勝利・産業の神として全国津々浦々から篤く信仰されている。


【参考】
・宗像大社 宗像大社社務所 平成元年(2019)