ウィリアム1世 William Ⅰ
ウィリアム1世(征服王)William Ⅰ, the Conqueror
(1027頃〜1087:1066〜87)
父:ノルマン公ロベール2世(悪魔のロベール) Robert le Diable
母:アーレッテ(北西フランスの革鞣し職人の娘) Arlette
ノルマン公ロベール2世の庶子として北仏ファレイズに生まれる。
1050年、妻マティルダと結婚。ところで、妻はウィリアムと血縁関係にあったため、ランス宗教会議でその結婚はいったん拒絶されたが、法王ニコラス2世の特免により実現した。王夫妻はこれに感謝してノルマンディーのカーンに修道院を寄進した。
彼はエドワードの従兄弟にあたり、かつて幼年時代をともに過ごした昵懇の間柄であった。そのため、エドワードからのイングランド王位継承をかねてから切望しており、また、エドワードとの間にその約束があったらしい。
1066年、エドワードの死を機会にイングランドに侵攻。王ハロルドを破って王位に就く。同年冬、ウェストミンスター寺院で戴冠式を挙げたが、これは以後歴代の国王が踏襲する先例となる。
1085年、全国規模の検地を実施(ドゥームズデイ・ブック)。ノルマン貴族によるイングランド制圧統治とサクソン貴族の没落を決定づけた。
1087年、軍事行動中、落馬事故をきっかけとして死亡。
妻:マティルダ Matilda(〜1083) 1050年結婚
フランドル伯ボドワン5世の娘。ウィリアムとの間に四男六女を儲ける。
長男:ロベール Robert Curthose(1054?〜1134)
ノルマン公領を継承。1106年、ヘンリー廃位の軍を起こすが反乱に失敗。幽閉された後死亡。
次男:リシャール Richard 狩猟中の事故で夭折
三男:ウィリアム William 後にウィリアム2世(ルーファス)として即位(1087)
四男:アンリー(ヘンリー) Henry 後にヘンリー1世として即位(1100)
三女:アディラ ブロワ伯スティーヴンに嫁す。後のスティーヴン王の母。