菊池弥之助の話

遠野物語

柳田國男著 明治四十三年(1910)


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 菊池弥之助という老人は若い頃荷運びを仕事にしていたが、笛の名人で夜通し馬を追って行く時などは、よく笛を吹きながら行った。ある薄月夜に、多くの仲間の者と共に浜へ越える境木峠を行くのに、また笛を取り出して吹きすさびながら、大谷地(おおやち)という所の上を通り過ぎた。大谷地は深い谷で白樺の林が茂り、その下は葦などが生えて湿った沢である。この時谷の底から何者かが高い声で「面白いぞー」と叫ぶ者があった。一同はことごとく顔色を変えて逃げ走ったということだ。

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 この男(菊池弥之助)がある奥山に入り、茸を採るために小屋を掛け泊まっていたところ、深夜に遠いところで「きゃー」という女の叫び声が聞こえ胸騒ぎがしたことがある。里へ帰ってみれば、その同じ夜、時も同じ刻限に、自分の妹である女がその息子のために殺されていた。

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 この女(弥之助の妹)というのは母ひとり子ひとりの家であったが、嫁と姑の仲が悪くなり、嫁はしばしば親里へ行って帰って来ないことがあった。
 その日は嫁は家にいて床に寝ていたが、昼の頃になり突然息子が言うには、「ガガ(母)はとても生かしてはおけない、今日必ず殺そう」と、大きな草刈り鎌を取り出し、ごしごしと研ぎ始めた。その有り様は少しも冗談と見えないので、母はさまざまに言葉を尽くして詫たけれども少しも聴かず、嫁も起き出して泣きながら諌めたけれど、少しも従うそぶりもなく、やがては母が逃げ出そうとする様子があるのを見て、前後の戸口をことごとく閉ざした。
 用便に行きたいと言えば、自分で外から便器を持って来てこれへしろという。夕方になったら母もついに諦めて、大きな囲炉裏の側にうずくまってただ泣くばかりだった。息子はよくよく磨いだ大鎌を手にして近寄ってきた。まず左の肩口をめがけて打ち切るようにすれば、鎌の刃先が炉の上の火棚に引っかかってよく斬れなかった。その時に母は深山の奥で弥之助が聞きつけたような叫び声を立てた。二度目には右の肩より切り下げたが、これでも母はなお死に絶えずにいたところへ、里の人々が驚いて駆けつけ息子を取り抑え、直ちに警察官を呼んで引き渡した。警官がまだ棒を持っていた時代のことである。母親は男が捕らえられ引き立てられて行くのを見て、滝のように血の流れる中から、自分は恨みも抱かずに死ぬので、孫四郎はゆるしてくださいと言った。これを聞いて心を動かさない者はいなかった。孫四郎は途中でもその鎌を振り上げて巡査を追い廻しなどしたが、狂人だということで釈放されて家に帰り、今も生きて里にいる。