男地蔵
西鶴諸国ばなし 巻二
井原西鶴 貞享二年(1685)
井原西鶴 貞享二年(1685)
北野の片隅に、合羽のこはぜ(金具)を作ってその日を送り、一生を夢のように、草庵に独りで住んでいる男がいた。
都であるから、さまざまな慰み事もあるのに、この男は、いまだ西も東も分からないほどの女の子を集め、好みの玩具を造り、この女の子たちにうち混じって、無邪気に明け暮れ楽しんでいたが、後には「新・賽の河原」と名付けて、数町内の子供たちがここに集まり、父母を慕いもせずに遊べば、親たちは喜んで仏のように言い合っていた。
その後、この男は夜になると、月影を忍んで街なかに行き、美しい娘を盗み、二三日も可愛がってはまた家に帰した。人々はこれを不思議なことと噂して、夕暮れより用心をし、幼い娘を門の外に出さず、都中がひとかたならぬ大騒ぎとなった。昨日は六条の数珠屋の子が見えないといっては嘆き、今日は新町の椀屋の子を探して悲しむありさまだった。
都であるから、さまざまな慰み事もあるのに、この男は、いまだ西も東も分からないほどの女の子を集め、好みの玩具を造り、この女の子たちにうち混じって、無邪気に明け暮れ楽しんでいたが、後には「新・賽の河原」と名付けて、数町内の子供たちがここに集まり、父母を慕いもせずに遊べば、親たちは喜んで仏のように言い合っていた。
その後、この男は夜になると、月影を忍んで街なかに行き、美しい娘を盗み、二三日も可愛がってはまた家に帰した。人々はこれを不思議なことと噂して、夕暮れより用心をし、幼い娘を門の外に出さず、都中がひとかたならぬ大騒ぎとなった。昨日は六条の数珠屋の子が見えないといっては嘆き、今日は新町の椀屋の子を探して悲しむありさまだった。
頃は軒端に菖蒲を飾る五月の節句に、華やかな室町通の菊屋なにがしのひとり娘で、今年七歳になり、その容姿が生まれつき優れており、乳母や腰元がついて、夕陽を避ける日傘を差し掛けて行くのをかの男が見つけ、横取りにし、抱いて逃げるので、お付きの者たちが「それ、それ」と声を上げたが、追いかける人はたちまち姿を見失ってしまった。
この男の足の早いことは、京から伊勢まで一日で到着するほどなので、跡を追いかけることは難しかった。その面影を見た人が言うには、「まず菅笠を被った耳の長い女」と見る者もあり、「いや、顔の黒い、目がひとつしかない者」などと、勝手がってに姿を見違えていた。
この男の足の早いことは、京から伊勢まで一日で到着するほどなので、跡を追いかけることは難しかった。その面影を見た人が言うには、「まず菅笠を被った耳の長い女」と見る者もあり、「いや、顔の黒い、目がひとつしかない者」などと、勝手がってに姿を見違えていた。
その娘の親は大いに嘆き、京中を探したが、だんだんと聞き出して、かの子どもを取り返し、このことを奉行所に言上すれば、奉行所はその男を召し出して、その思うことをお聞きになられたところ、ただ何となく、小さい娘を見ると、そのまま欲しくなる気持ちが起こり、今まで何百人か盗んで帰った。四五日は可愛がり、また親元へお帰ししましたと言うばかりで、他に子細はなかった。こういうことがあったのに、今まで世間一般に知れ渡らなかったのは、さすが都はおおらかなものだなあと思い知らされたのだった。