ヘンリー3世

ヘンリー3世 Henry Ⅲ


ヘンリー3世 Henry Ⅲ
(1216〜1272)

 父:ジョン
 母:イザベル

 1216年、ジョンの後を受けて9歳で即位。ペンブルク伯ウィリアム・マーシャルが摂政に就任。大憲章を復活。
 1217年、休戦条約成立。フランス軍、イングランドから撤退。
 1219年、マーシャルの死後、ヒューバート・ドゥ・バラが摂政に就任。
 1229年、ヘンリー、ポワトゥー人を重用。ヒューバートとの対立が激化。
 1236年、エリナー・オヴ・プロヴァンスと結婚。宮廷にサヴォイ人が進出。
 1242年、大陸政策に熱中し、フランスに侵攻。タイユブール・サーンテで大敗を喫する。
 1258年、レスター伯シモン・ドゥ・モンフォール Simon de Montfort、オックスフォード条例を王に承認させる。これは国政の最高機関を国王評議会 King’s Councilとするもの。
 1259年、エドワード王子、オックスフォード条例を制限するウェストミンスター条例を公布。内乱が勃発。
 1260年、ノルマンディーを放棄し、フランスと和解。
 1264年、リューイスの戦いで王と王子を逮捕。シモン・ド・モンフォール、議会を開催(英国議会の起源)。
 1265年、エドワード王子、イーヴシャムの戦いで議会派貴族軍を破り、シモンらを殺戮。以後国政を掌握。
 1272年、王死去。

妻:エリナー・オヴ・プロヴァンス Eleanor of Provence(1226?〜1291) 結婚1236年
 プロヴァンス伯レイモン・ベレンジャー4世の娘、サヴォイ伯アマデウス4世の姪
 イングランドの宮廷ではポワトゥー人やサヴォイ人のみを重用し、国内で反感を買う。
 ヘンリーとの間に六男三女を儲ける。うち、三男一女は夭折。
長男:エドワード Edward 後のエドワード1世
次男:エドマンド Edmund(1245〜1298) ランカスター伯 ランカスター家の祖先となる。
 レスター伯領、ダービー伯領、シャンパーニュ伯領を受ける。
長女:マーガレット スコットランド王アレグザンダー3世妃となる。王との間に娘マーガレットを儲ける。
 娘はノルウェー王エリク・マグヌースンに嫁ぎ、娘マーガレット(メイド・オヴ・ノルウェー)を産む。