ヘンリー1世 Henry Ⅰ
ヘンリー1世(碩学王)Henry Ⅰ, Beauclerc
(1068〜1135:1100〜1135)
父:ウィリアム1世
母:マティルダ
ウィリアム1世とマティルダの四男に生まれる。
兄同様、大司教ランフランクの薫陶を受ける。その豊富な学識から「碩学王(ボークラール)」と呼ばれる。
1100年、兄の死を知るやいなやウィンチェスターに駆けつけ、王位を手にする。長兄ロベールは十字軍に従軍して不在の折りであった。同年、マティルダ(スコットランド王マルカム3世の娘)と結婚。
卑賤の出であるソールズベリーのロジャーを宰相に抜擢するなど、大胆な政策で中央集権体制の確立に努める。
1106年、ロベールが王の廃位をめざして挙兵するが、北仏タンシェブレーでヘンリーの軍に敗れ、以後死ぬまで幽閉の身となる(1134年没)。
1107年、不和となっていた教会との関係改善のため、カンタベリー大司教にアンセルムを迎え、聖職者の叙任権問題について教会と妥協を図る。
1118年、妻マティルダ死去。王はその後、アデライザ(ルーヴァン公の娘)と再婚(1121年)。
1120年、二人の嫡子を海難事故で亡くす(ホワイト・シップ号の難破)。
1126年、神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世に嫁いでいた娘マティルダが、夫が他界したために帰国。ヘンリーは彼女を王位継承者に指名する。その後マティルダは1129年、アンジュー伯ジェフリ・プランタジネットと再婚。1133年に息子ヘンリー(後のヘンリー2世)を儲ける。
1135年、フランスで狩りの最中、ヤツメウナギの食べ過ぎが原因で死亡。
妻1:マティルダ Matilda(1080〜1118) 1100年結婚
スコットランド王マルカム3世の娘、サクソン王エドマンド2世(剛勇王)の曾孫
信仰心厚く、慈悲深い彼女は、生前ハンセン病患者救済のために病院を設立した。
王との間に二男一女を儲ける。
長男:ウィリアム William 1120年、海難事故で死亡
次男:リチャード Richard 1120年、海難事故で死亡
長女:マティルダ Matilda(1102〜1167)
神聖ローマ皇帝ハインリッヒ5世(1106〜1125)に嫁ぐ。夫の他界後帰国し、王位継承者に指名される。
1129年、アンジュー伯ジェフリ・プランタジネットと再婚。
1133年、息子ヘンリー(後のヘンリー2世)を儲ける。
1135年、スティーヴン即位後、王位を主張してイングランドに内乱を引き起こす。
妻2:アデライザ Adeliza of Louvain (〜1151) 1121年結婚
ジョアフリー・オヴ・ルーヴァンの娘、フランク王シャルルマーニュの子孫。
ヘンリー1世没後、アランデル伯アルビニー William de Albiniと再婚。
ノーフォーク公フィッツアラン・ハワード家 FitzAlan-Howard, Duke of Norfolkの祖となる。
他に多くの愛人たちとの間に20名以上の庶子あり。