エドワード1世

エドワード1世 Edward Ⅰ


エドワード1世 Edward Ⅰ, Longshanks
(1272〜1307)

 父:ヘンリー3世
 母:エリナー・オヴ・プロヴァンス

 1239年、ヘンリー3世とエリナーの長男として誕生。名付け親はシモン・ドゥ・モンフォール。
 1254年、カスティル・レオン国王フェルナンド3世の娘エリナーと結婚。
 1259年、改革派貴族シモン・ドゥ・モンフォールのオックスフォード条例に対抗してウェストミンスター条例を承認させる。以後改革派貴族との抗争が始まる。
 1265年、イーヴシャムの戦いで改革派を撃破。シモンら改革派貴族を惨殺する。以後、ヘンリー3世に代わって国政を掌握。
 1270年、エドマンドとともに十字軍に参加。
 1272年、十字軍遠征の帰途、父王の死によりイングランド王に即位。即位後、フランスで両国間の関係改善に努める。1274年に帰国し、戴冠式を行う。帰国後、法制の確立に努め、貴族や教会の特権を制限する法律を次々と公布し、王権の確立をめざす。
 1276年、ウェールズ首長ルーアリン・アブ・グリフィズが臣従要請を拒絶。エドワード、ウェールズ侵攻を開始し、1282年にウェールズを完全に掌握する。ルウェリンを処刑。ウェールズ王家断絶。
 1286年、スコットランド王アレグザンダー3世(妹の夫)死去。ノルウェー王の娘マーガレット(メイド・オヴ・ノルウェー)が3歳で女王に即位。
 1288年、エドワード、皇太子エドワードをスコットランド女王マーガレットと結婚させる。
 1290年、マーガレット女王、海難事故で死去。スコットランドに王位継承の抗争が始まる。
 1295年、エドワード、軍費調達の必要から議会を招集(模範議会)。
 1296年、エドワード、スコットランドに進軍開始。ベイリャル王軍が敗れ、スコットランド空位となる。1298年にフォーカークの戦いでスコットランド軍を撃破、1304年にスターリングを占領し、スコットランドを平定。
 1299年、仏王の娘マーガレットと再婚。
 1301年、長子エドワードを「プリンス・オヴ・ウェールズ」とする。
 1306年、スコットランドでロバート・ブルースの反乱が始まる。ロバート1世として即位。
 1307年、スコットランドへ遠征の途上、病死。

妻1:カスティルのエリナー Eleanor of Castile(〜1290) 結婚1254年
 エドワードとの間に16人以上の子供を儲けるが、10人前後は夭折。
 1290年、スコットランドへの途上で病死。その死を悼んでエリナー・クロスが建設される。
四男:エドワード 後のエドワード2世
長女:エリナー バー伯ヘンリーに嫁ぐ。
次女:ジョアン グロースター伯ギルバート・ドゥ・クレアに嫁ぐ。
 その娘マーガレットは後にエドワード2世の寵臣ギャヴスタンに嫁ぐ。
四女:メアリー 尼僧になる。
五女:エリザベス ホランド伯ジョン、次いでヘレフォード伯ハンフリー・ドゥ・ブーンに嫁ぐ。

妻2:マーガレット(1282?〜1318) 結婚1299年
 フランス王フィリップ3世の末娘
 エドワードとの間に二男一女を儲けるが、女子は夭折。
長男:トマス ノーフォーク伯トマス・オヴ・ブラザートン ノーフォーク家の祖先となる。
次男:エドマンド ケント伯 娘ジョアンは「フェア・メイド・オヴ・ケント」として知られる。